薬を売るために病気はつくられる?

薬を売るために病気はつくられる?
 「怖くて飲めない!― 薬を売るために病気はつくられる」レイ・モイニハン アラン・カッセルズ著からご紹介します。

 ▼健康な人を病人に仕立てる

 過剰な広告と、大衆受けをねらった「病気に対する認識を高める」キャンペーンが人々を不安に陥れ、健康な人々を病人に変えている。そのせいで、ささいな問題が重篤な疾患の色を呈してくる。ただの内気は社会不安障害の徴候とみなされ、月経前の精神的緊張は、月経前不機嫌性障害という精神疾患にされてしまう。ちょっとセックスに問題があれば性機能障害だといわれ、女性の体の自然な年齢的変化が、更年期障害と呼ばれるホルモン欠乏症となり、注意散漫な社員は成人型注意欠陥多動性障害(ADHD)と決めつけられる。病気になる「リスク」があるというだけで、立派な「病気」 にされてしまうので、いまでは健康な中年女性は骨粗しょう症という潜在性の骨疾患をもち、壮健な中年男性は生涯高コレステロールという病気を抱え込むことになる。

 多くの健康問題において、ごく一部の人々は、その病気で非常に苦しんでおり ― あるいは、その病気になるリスクがきわめて高く ― 的確な診断と強力な薬によって大きな恩恵を受ける。しかし、残りの比較的健康な大多数の人々の場合、病気のレッテルを貼られて薬を飲み始めると、たいへんやっかいで莫大な金がかかるばかりでなく、ときには致命的な副作用に苦しむことにもなりかねない。ところが、このような病人でない人々をターゲットに、新たな世界的市場がつくりあげられてきたのである。

 売り込みの震源はもちろんアメリカ合衆国だ。世界的巨大製薬会社の多くが米国に集まっており、本書で扱う事例もほとんどが米国の話である。米国の人口は世界人口の五パーセントにも満たないというのに、すでに処方薬の世界市場のほぼ五〇パーセントは米国が占めている。それにもかかわらず、米国内での薬の消費は、どこの国よりも急激に伸びており、たった六年でほぼ二倍に増加した。理由は薬の値段の急騰だけではなく、医師たちが率先してそうした薬を処方するようになっていることも大きいのである。

 ▼新しい病気をつくりだす

 ニューヨーク市の中心部、マンハッタンにオフィスをもつヴィンス・パリーはそうした世界的なマーケティングの最前線にいる。広告のエキスパートであるパリーは、現在、製薬会社と協力して新しい病気をつくりだすという、もっとも洗練された形の薬の売り込みを専門にしている。パリーは最近、「病気をブランド化する技術」という驚くべきタイトルの記事で、製薬会社がいかにして新たな病気を「つくりだそう」としているかを明らかにした。あまり知られていない医学的症状に新たにスポットライトをあてたり、古くからあった病気を定義しなおして別の病名をつけたり、まったく新しい機能障害をつくりだしたりするのである。バリーが個人的に気に入っているのは、勃起不全症、成人型注意欠陥多動性障害、月経前不機嫌性障害などだ。こうした病気についてはさまざまな意見が飛び交っており、そもそもこんな病気は存在しない、と言い切る研究者もいる。

 製薬会社のリーダーシップの下、バリーのような広告スペシャリストたちは、医療専門家と協力しあって、「病気や症状についての新しい見方をつくりだして」いる。重要な売り込み戦略のひとつは、よくある症状に対する人々の見方を変えることだという。つまり、「自然な過程」を医学的な問題にしてしまうのである。たとえば髪が薄くなる、しわ、性生活の衰えなどは、これまでなら、「困ったことだが、しかたがないとすませていた問題」だ。しかし、それを「医学的介入に値する」病気だと人々を「説得」するのである。
 
 マーケティング担当重役が机に向かって実際に病気の診断法の規則を作成しているわけではないが、定義を作成する立場にある人々に対して影響力を広げていることはたしかだ。現在、製薬業界はあたりまえのように重要な医学会議のスポンサーとなり、その場で病気の定義が討議され、新たな見解が発表される。セックスの問題があったら、それを直ちに性機能障害と定義すべきなのか、お腹の調子が悪かったら、それを深刻な医学的問題と考えるべきなのか、あるいは病気になりやすいかどうかを予測する多くの因子のなかからひとつだけを取り上げて、それを致命的疾患の徴候とみなすべきなのか ― そうしたことを決定する立場にある経験豊富な専門家たちが、薬を人々に売りつけようとしている会社から報酬を受け取っているのである。金を払ったからといって、影響力も買えるとは限らないが、多くの第三者の目からみると、医師たちと製薬会社は強く結びつきすぎているようにみえる。

 ▼患者の数を操作する

 多くの医学的状態において、健康と病気の境界線をどこで引いたらいいかは非常にあいまいである。「正常」と「異常」とを分ける境界は国によって劇的な違いがみられたり、時代とともに変わったりする。病気の境界を大きく広げれば広げるほど、潜在的な患者数は増え、製薬業界にとって都合よく市場が広がることは明らかだ。今日、会議の席で、そうした境界線を引く専門家の手に製薬会社のペンが握られていることがあまりにも多い。そして彼らは、会議を開くたびに、病気の境界を広げているのである。

 こうした専門家たちによると、米国では、高齢者の九〇パーセントは高血圧症であり、女性のほぼ半数は女性性機能障害をわずらっており、四〇〇〇万人以上が薬でコレステロール値を下げるべきであるという。新聞記者たちの助けをちょっと借りれば、こうした最新の病気はとても重篤で、多くの人がかかっているが、薬で治療が可能だというふうに世間に広めることができる。
                                                
 疾患の境界線が限界まで押し広げられる一方、その病気の原因のほうは、可能な限り狭められてしまう。心臓病の原因は、コレステロール値や高血圧といったごく狭い範囲に絞られ、精神的苦痛は、主として脳内にあるセロトニンという物質のアンバランスのせいだとされてしまう ― そんな説明は全体像をみていないばかりか、すでに時代後れだというのに。

 今日、病気についての我々の考え方は巨大製薬会社の大きな影響の下で形づくられている。だが、焦点が絞られているために、健康や疾患を、広い視野でみることができなくなっていて、ときにはそのために、個人や共同体が大きな代償を支払わなければならないこともある。たとえば、現在、コレステロール値を気にする健康な人が高価なコレステロール低下薬を買うために、何十億ドルもの金が使われている。しかし、人類全体の健康の改善が我々の本来の目的であるならば、その金の一部を、喫煙を減らしたり、運動を勧めたり、食事内容を改善するためのキャンペーンに使ったほうが、はるかに高い効果が期待できるはずなのである。

 ▼病気に対する恐怖心につけこむ

 病気を売り込むための販売促進戦略にはさまざまなものがあるが、すべてに共通しているのは、人々の恐れにつけこむというやり方だ。女性たちに更年期はホルモン補充療法で治療 しなければならない病気だと思い込ませるときには、心臓発作への恐怖が利用された。うつ病はたとえ軽度でも強力な薬で治療しなければならないという考えを売り込むためには、自分の子どもが自殺するのではという親たちの恐れを利用している。しかし、ある病気を予防すると大げさに宣伝されている薬が、実際にはその病気にとってかえって害になるという皮肉な場合もあるのである。

 長期にわたるホルモン補充療法は、女性の心臓発作のリスクを増やし、抗うつ剤はどうやら若者の自殺志向のリスクを増大させるらしい。なかでも一番恐ろしいケースのひとつは、よくあるお腹の不調を治すという触れ込みで売られていた薬によって重症の便秘になり、死亡した人が何人も出ていることである。だが、このケースでも、ほかの多くのケースと同じく、政府の規制当局はなぜか、国民の健康よりも、製薬会社の利益保護のほうに興味があるように思われたのだった。

 米国では一九九〇年代後半に薬の広告規制が緩和され、一般の人々を宣伝のターゲットとした空前の猛攻撃が始まった。人々は現在、毎日平均一〇回はこうした広告をみさせられている。世界のその他の国々でも、製薬業界は広告規制の緩和をめざし、執拗な戦いをつづけている。ある者は、こうしたマーケティングのやり方は価値のあるサービスだと支持し、またある者は、病気を私たちの生活の中心にしてしまうことだと批判する。マーケティング攻勢によって、本当の病人は選択肢を狭められてもっとも高価な薬による治療を押しっけられ、何千万人もの健康な人々は、自分の体は壊れかけていて、うまく働かなくなりつつあり、いまにだめになってしまうという不安にかられ始める。人々の恐怖につけこんで利益を得ようとする人々は、病気を売り込むことによって、私たちみんなの心に攻撃をしかけているのである。闇の陰謀などではない。白昼堂々と押し入る強盗と同じなのだ。

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